京都府南丹市で行方不明になっている11歳の男の子。
この南丹市でお子さんらしきご遺体が見つかったという、悲しい報道がありました。
2026年4月14日現在、身元確認中です。
身元はわからないとはいえ、確実なのは、遺体でみつかったお子さんがいたこと…
このような報道を目にするたび、胸が締め付けられるような思いになります。
「もし自分の子だったら」
「もし身近な子だったら」
……そう考えずにはいられないのが、人の情というものかもしれません。
ネガティブな情報は「見ない」方がいいのか?
スピリチュアルの世界では、よく「波動を下げないために、ネガティブな情報には触れない」「テレビは見ない」という考え方があります。
確かに、ショッキングなニュースに心をかき乱され、自分自身の生活やメンタルに支障が出てしまうのであれば、情報を遮断して身を守ることはとても大切なことです。
でもそうは言っても、全く知らないお子さんのことなのに、どうしても気になってしまう。
その想いを「悪いこと」だと自分を責める必要はないと、私は思います。
「かわいそう」から「祈り」へ
私たちは悲しいニュースに接したとき、無意識に「かわいそうに」「どんなに辛かっただろう」という思いを強く持ってしまいます。
それは愛情の裏返しではありますが、スピリチュアル的な視点で見ると、「かわいそう」という念は時に重いエネルギーとして漂ってしまうことがあります。
そこで、一つ提案です。 そのやり場のない「同情」を、温かい「祈り」へと変えて届けてみませんか?
「私にはそんな特別な能力はないから」と思うかもしれません。
でも、特別な修行も、不思議な力も必要ありません。
「どうぞ安らかに」「光に包まれますように」
ただそう心の中で唱え、そっとイメージするだけで良いのです。
必ず届きます。
光を届けるイメージワーク
もしよろしければ、今この瞬間に、少しだけ意識を向けてみてください。
- まず、大きく深呼吸をして自分を整えます。
- 亡くなった方が、温かく、柔らかな金色の光に包まれているところを想像します。
- 「温かい光の中で、どうぞ安らかに」というようなことを(自分の言葉でOK)、心の中で優しく声をかけます。
上手なイメージができなくても構いません。
「安らかであってほしい」というあなたの純粋な願いそのものが、最も尊いエネルギーになります。
最後に:祈りは、私たち自身の心も救う
痛ましい事件に対して「何もできない」と無力感に苛まれるよりも、小さな祈りを届けることで、私たちの心も少しずつ穏やかさを取り戻していくことができます。
悲しみを「愛」と「光」のエネルギーに変換して届けること。
それが、今を生きる私たちにできる、ささやかで大切な弔いではないでしょうか。
亡くなられたお子様のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。